炭酸水の歴史・文化

【18世紀~】炭酸水の歴史と起源を徹底解説!炭酸飲料はいつから作られ、飲まれてきたのか?

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スーパーやコンビニ、自動販売機など、どこにでも売っている炭酸水。

フレーバー付きや天然の炭酸水、コーラを初めとする炭酸入りのジュースなど、現在売られている炭酸飲料の種類は数百、数千にも上ります。

当たり前のように日々飲んでいる炭酸水ですが、実は、広く飲まれるようになったのは、ほんの2、300年前のことでした。

炭酸水が人工的に作られるようになったのは、18世紀のヨーロッパです。当時は健康に良い飲み物として薬局などで販売されていました。

それからどのような過程を経て、炭酸水は世界中で飲まれるようになったのでしょうか?

この記事では、18~19世紀の出来事を中心に、炭酸水がいつから作られ、飲まれるようになったのか、その初期の歴史と起源について解説します。

【年表】炭酸水が広く飲まれるようになったのは18世紀末のヨーロッパから!

炭酸水の歴史年表

炭酸水が広く飲まれるようになったのは、18世紀の末、ヨーロッパで炭酸ガスが発見されてからでした。

当時の炭酸水は、健康に良い飲み物と考えられており、薬局などで売られていました。

時代を下るにつれて、炭酸水はビールやエールなど、庶民に親しまれていた炭酸飲料の文化と合流し、さまざまなフレーバをつけた”楽しい”飲み物としても受け入れられていきます。

おしゃれでおいしい、エンタメとしての炭酸水が世界的に広まったのは、アメリカでソーダ・ファウンテンが登場し、万国博覧会で好評を博してからです。

以来、炭酸水はさまざまな刺激的なフレーバーとともに、世界中で販売され、飲まれるようになりました。

【主な出来事年表】

出来事
1620年ヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモントによって、「ガス」という言葉が作られる
※炭酸ガスであると判明するのは1792年ころ
1750~52年ころジョゼフ・ブラックがチョークや石灰から発生する気体を「固定空気(fixed air)」と名づけ、論文を執筆
1767年ジョゼフ・プリーストリーが人工的に炭酸水を作る方法を発見
1772年ジョゼフ・プリーストリーが論文『水に固定空気を含浸させる方法(Directions for Impregnating Water with Fixed Air)』を発表
1774年ジョン・ヌースがプリーストリーの装置をガラス製に改良
1777年ヌースの装置を改良した炭酸水メーカー『ガソジン』または『セルツォジン』が東インド諸島の英国人向けに販売
177?年トーマス・ヘンリーがマンチェスターの薬局で人工炭酸水の販売を開始
1783年ドイツ生まれの宝石技師ヤコブ・シュヴェッペが、スイスでシュウェップス社を設立(1792年ロンドンに渡る)
1788年硫黄と炭酸水素ナトリウムから炭酸水を製造する『ジュネーブ装置』が開発される
1789年アントワーヌ・ラヴォアジエが固定空気に”炭酸ガス”という名称をつける
1807年アメリカ・フィラデルフィアの薬剤師タウンゼント・スピークマンが、果汁と炭酸水を合わせた「ニーファイト・ジュレップ」を販売
1809年ベンジャミン・シリマンがニューヨークのコーヒーハウスに『ソーダ・ファウンテン』を設置
1813年チャールズ・プリンスが家庭で炭酸水を作れる『ソーダサイフォン』を開発
1832年ジョン・マシューズが硫酸と大理石(炭酸カルシウム)から炭酸水を作るソーダ・ファウンテンを開発、「炭酸水の父」と呼ばれる
1848年イギリスでアレクシス・ソイヤーが「ソイヤーズ・ネクター」という青色の炭酸飲料を発売
1851年ロンドン万国博覧会でシュウェップス社が炭酸入りのレモネードやミネラルウォーターを販売し、好評を得る
185?年ボストンでグスタフ・ダウズが炭酸水にシロップと氷を入れた「クリームソーダ」を販売
1867年パリ万国博覧会でダウズのソーダ・ファウンテンが大好評を得る
1870年代南北戦争後のアメリカ全土でソーダ・ファウンテンが広まる
1872年日本の神戸でスコットランド人アレキサンダー・キャメロン・シムがレモネードの販売を開始
1876年フィラデルフィア万国博覧会でジェームズ・タフツの設計した高さ10メートル、104つの注ぎ口がついた巨大なソーダ・ファウンテンが登場
1903年ジャイルズ・ギルビーがソーダストリーム社をイギリスで設立。上流階級向けに炭酸水メーカーや濃縮液を販売

☆参考資料

【参考】炭酸水の湧き出ている場所では18世紀より前から飲まれていた

ヨーロッパには各地に天然の炭酸水が湧いている場所があり、そこでは古くから健康のために炭酸水を飲んだり温泉に浸かったりしてきました。

例えば、古代ローマ人は西部ヨーロッパを征服した際、各地に炭酸泉を見つけ、浴場として利用したり、飲み水として利用したりしました。

炭酸水を飲む文化は、こういった一部の地域で習慣として脈々と受け継がれていき、18世紀になってようやく世界的に広まったのです。

炭酸水の別名として知られている「セルツァー」という言葉、これはもともと、ドイツのニーダーゼルタースで昔から飲まれていた天然の炭酸水を意味する言葉でした。

18世紀に入ってから、このセルツァー水が瓶詰めされて世界中に販売されるようになり、炭酸水の代名詞として有名になったのです。

日本にも炭酸泉が湧き出ている地域はありますが、数が少なく、また温泉として利用されることが多いため、飲んだという記録は少ないです。

もっとも古い記録では、日本書紀に持統天皇が病人に「醴泉(れいせん)を飲ましめたまふ」とあり、この「醴泉」が炭酸水ではないかと考えられています。

また、炭酸泉の湧き出る有馬温泉周辺では、炭酸泉が飲まれたり、酒の原料にされたりしてきたとされています。

炭酸水が日本で広く飲まれるようになったのは、明治以後、ドイツの温泉学が入ってきて、その健康効果が知られるようになってからのことでした。

☆参考資料

【18世紀】ヨーロッパで炭酸ガスの研究が始まり、初めての人工炭酸水が完成した!

炭酸水の歴史【18世紀】

炭酸水が世界中で飲まれるようになったきっかけは、炭酸ガスが発見され、人工的に炭酸水が作れるようになったからです。

ここでは、18世紀のヨーロッパで人工炭酸水が作られるようになった経緯を見ていきましょう。

炭酸ガスの発見

炭酸ガスが発見されたのは、18世紀のことです。

ガス“という言葉自体は、フランドルの科学者、ヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモントによって考案されていました。

また、科学者たちはその正体ははっきりわからないものの、チョークや石灰石から”ガス”が作れることを知っていました。

”ガス”の研究がさかんになり始めたのは、1750年代、スコットランドの科学者ジョゼフ・ブラックが、この”ガス”に「固定空気(Fixed Air)」という名前をつけてからです。

ブラックは、固定空気がチョークや石灰石からだけではなく、発酵によっても生じることを突き止めました。

このときから、固定空気を人工的に抽出し、水に溶け込ませようという研究がさかんになります。

人工的に炭酸水を作ることに成功!

1772年、イギリスの化学者ジョゼフ・プリーストリーは、炭酸水の歴史にとって画期的な論文を発表しました。

水に固定空気を含浸させる方法(Directions for Impregnating Water with Fixed Air)』という論文で、プリーストリーは炭酸水を人工的に作る方法を紹介しています。

論文で示された炭酸水の製法は、次のようなものでした。

  1. 硫酸とチョークを混ぜて炭酸ガスを発生させる
  2. 発生した炭酸ガスを豚の膀胱で作った袋に集める
  3. 集めた炭酸ガスを水の入ったビンに移しよく振る
  4. ガスが水によくなじんだら炭酸水の完成!

炭酸ガスを水に溶かして炭酸水を作るという方法は、現代の炭酸水メーカーでも変わりません。

プリーストリーが発表した炭酸水の製造装置は、炭酸水メーカーのもっとも原始的な形であるといえるでしょう

ちなみに、現代の炭酸水メーカーでは、ガスシリンダーに炭酸ガスをあらかじめ詰めておいて、そこから注入する仕組みになっています。

プリーストリーのこの論文は大きな話題となり、王立協会から最高の栄誉を与えられました。

ただし、この栄誉は、壊血病の薬を作ったという功績に対してでした。
炭酸水は、当時、壊血病に効果があると考えられていたのです。

家庭で炭酸水が作れる装置「ガソジン」の誕生

プリーストリーの論文が発表された2年後の1774年、ジョン・ヌースがプリーストリーの装置を改良し、豚の膀胱を使わない、すべてガラス製の新しい装置を作ります。

このヌースの装置をさらに改良したものが、1777年、インド諸島に暮らすイギリス人に向けて販売された、『ガソジン』(もしくは『セルツォジン』)です。

ガソジンは、今でいう家庭用の炭酸水メーカーの原型です。

ガソジンは息の長い製品で、100年後に書かれたシャーロックホームズの小説「ボヘミアの醜聞」にもガソジンが登場しています。

一方、このころ大陸でも、硫黄と炭酸水素ナトリウムから炭酸水を製造する『ジュネーブ装置』が1788年に開発されています。

人工的に炭酸水を作る方法が、ヨーロッ中にだんだんと確立されていきました。

炭酸水商人の誕生

人工的に炭酸水を作る方法が広まるにつれ、炭酸水を販売する商人も登場します。

当時の炭酸水商人でもっとも大きな成功を収めたのは、ドイツの宝石技師であったヤコブ・シュヴェッペです。

シュヴェッペは1783年、スイスのジュネーブで『シュウェップス社』を設立。プリーストリーの装置を改良した装置を使って、人工炭酸水の販売を開始しました。

開業当時は、装置がまだ未熟で炭酸水の質が悪かったこともあり、売り上げはあまりよくありませんでした。

しかし、1792年、ロンドンに会社を移すころには装置の改良も進み、またその品質から科学者や医師の承認を受け、シュウェップス社はイギリス随一の炭酸水企業となりました。

もちろん、シュウェップス社以外にも炭酸水を扱う商人は多く生まれました。

例えば、1770年代にはトーマス・ヘンリーがマンチェスターの薬局で人工炭酸水の販売を開始しています。

炭酸水商人は19世紀に入るとますます増え、薬局だけでなく、道でレモネードなどを販売する露天商も登場してきます。

【参考】水が”飲み物”ではなかった時代

18~19世紀以前のヨーロッパでは、水は基本的に”飲み物”とはみなされていませんでした

なぜなら、水には虫の死骸や魚の排泄物、寄生虫、細菌など、いろいろな不純物が含まれており、汚いものだと考えられていたからです。

工業化が進行すると、特に都市部で水の汚染がひどくなり、生の水はとてもそのまま飲める代物ではなくなっていました。

そのため庶民は、水ではなくビールやエール、ワインなど、アルコールによって殺菌された飲み物を飲むことが自然な習慣となっていたのです。

当時、水を飲むことは危険な行為とされており、高名な思想家や哲学者もアルコール飲料を飲むよう勧めていました。

例えば、アメリカ建国の父とされるベンジャミン・フランクリンは、ノアの箱舟のエピソードを引用し、水ではなくワインを飲むべき理由を聖書の歴史から根拠づけています。

また、イギリスの哲学者ジョン・ロックは、子どもの健康的な成長のためには水ではなくビールを飲ませるべきだと説きました。

水に対する嫌悪や偏見がなくなり、健康的な飲み物として飲まれるようになったのは、浄水技術が確立され始めた19世紀に入ってからです。

炭酸水が世界中に広まったのも、このころからでした。

炭酸水が健康的な飲み物としてはじめ薬局などで販売されたのには、こういった歴史的な背景も絡んでいると考えられます。

【19世紀前半】炭酸水が薬局で販売され、炭酸飲料製造装置「ソーダ・ファウンテン」が生まれた!

炭酸水の歴史【19世紀前半】

ヨーロッパで確立された炭酸水を人工的に作る技術は、アメリカに渡ると、独自の発展を遂げました。

それが、ソーダ・ファウンテンです。

ここでは、アメリカでソーダ・ファウンテンが生まれた背景と、炭酸水文化が広まる1つのきっかけとなった1851年のロンドン万国博覧会について紹介します。

アメリカの薬局で炭酸水の販売が開始

1807年、アメリカのフィラデルフィアで薬剤師のタウンゼント・スピークマンが、果汁と炭酸水を合わせた「ニーファイト・ジュレップ」という飲み物を販売しました。

スピークマン以外にも、フィラデルフィアには複数の薬剤師が炭酸水を販売しており、アメリカの炭酸水文化の黎明期の姿が垣間見れます。

薬剤師が炭酸水を売っていたのは、薬を調合する技術を持っていたことが理由の1つです。

炭酸水を作るには、素材の分量を正確に測って調合する技術が欠かせません。その技術を持っていたのが、薬剤師だったのです。

ニーファイト・ジュレップは、果汁入りの炭酸水です。「ニーファイト」は腎臓の病気のことで、「ジュレップ」は薬に混ぜて飲みやすくするシロップを意味します。

果汁入りの炭酸水であるニーファイト・ジュレップは、美味しい上に腎臓の病気に効く特別な飲み物であり、おしゃれな飲み物として人気を博しました。

このころから、アメリカでは炭酸水を飲む習慣が広まり始めました。

当時の炭酸水は、単なる”薬”というよりは、今でいう「トクホ」系の飲み物のような、体にいいジュースといった感覚で飲まれていたのだと思われます。

ソーダ・ファウンテンの誕生

アメリカにおける炭酸水の歴史を語るうえでかかせないのが、ソーダ・ファウンテンの存在です

ソーダ・ファウンテンとは、

  1. 炭酸水を作ってフレーバーをつける装置
  2. 作った炭酸水を提供するお店

という、2つの意味を持った言葉です。

ソーダ・ファウンテンがアメリカで現れたのは、19世紀のはじめのことでした。

1800年代、アメリカの化学者ベンジャミン・シリマンは、ヨーロッパに旅行した際、ヌースの炭酸水製造装置を持ち帰り、作った炭酸水を瓶詰めにして販売しました。

炭酸水は人気を博し、需要が増えました。ところが、炭酸ガスの圧力に耐えられるビンの調達が難しく、思うように販売を伸ばすことができませんでした。

そこでシリマンは、装置を薬局などの実店舗に設置し、注文を受けて作るスタイルで炭酸水の販売を始めました。これが、ソーダ・ファウンテンの起源の1つです。

ソーダ・ファウンテンは最初こそ薬局に置かれていましたが、やがてカフェなどにも設置されるようになり、ついには「ソーダ・ファウンテン」という名前のお店が現れはじめました。

以後、ソーダ・ファウンテンはアメリカの文化の1つとして、社会に浸透することとなるのです。

1851年のロンドン万国博覧会~シュウェップス社のレモネード~

このころイギリスでは、ジンジャービアやレモネードを売る露天商が現れましたが、庶民が気軽に飲むファストドリンク的な位置づけでした。

むしろ、社会に大きな影響を持つ上流階級の間では、ガソジンを使って自作するか、シュウェップス社をはじめとする業者が販売する瓶詰めの炭酸水を買うのが主流でした。

そんな中開催されたのが、クリスタルパレスで有名な1951年のロンドン万国博覧会です。

ロンドン万国博覧会で、シュウェップス社は炭酸入りのレモネードを提供する権利を得、万博会場で大きな注目を集めました。

5月1日から10月15日まで開催されたこの博覧会で、シュウェップス社は会場だけで100万本以上の飲み物を売り上げ、イギリス生まれの炭酸水の味わいを世界に知らしめました

このころにはシュウェップス社以外にも、ロビンソンズ社、ソイヤーズ社など多くの業者が独自の炭酸水を販売しており、また輸出入もさかんに行われ、瓶詰めの炭酸水はイギリスのみならずヨーロッパ中で飲まれるようになったのです。

【参考】禁酒運動と炭酸水の発展

炭酸水が広く飲まれるようになった背景として、19世紀、ヨーロッパおよびアメリカで禁酒運動がさかんになっていたことが挙げられます

禁酒運動がさかんになった理由としては、以下の2点が考えられます。

  1. 浄水技術の進歩につれて水が飲めるようになったため
  2. 労働者をアルコールから遠ざけるため

水が飲み物とみなされていなかったことは前の見出しで述べましたが、進歩的な医師や学者は水の効能に気づいていました。

浄水技術が進歩して水が飲めるようになると、彼らはアルコールよりもずっと健康に良い飲み物として、水を飲むようさかんに啓蒙しました。

当時、医学の領域では「水療法」といって、傷口に水をあてたり、こまめに水を飲むよう指導したりする治療法が広まりつつありました。

また、このような「健康志向」が19世紀に現れたのは、経済学の発展により、労働の価値が発見されたことも重要だと考えられます

労働価値説により働くことが価値(利益)を生むのだという考えが広まり、経営者は労働者をしっかり管理する必要が生まれました。

そのため、水の代わりにアルコールを飲んでいた労働者を教育し、健康のために水を飲むよう啓蒙する必要があったのです。

ところが、いくら健康に良いからといって、アルコールばかり飲んでいた人に味気ない水を飲ませるのは難しい。

そこで注目したのが、炭酸水です

フレーバーをつけた炭酸水は、水を飲む習慣のなかった庶民でも親しみやすく、禁酒運動家は高く評価しました。

炭酸水が現在世界中で飲まれるようになったのは、当時の禁酒運動が1つのきっかけとなっていると考えられます。

実際、1920年代から始まるアメリカ禁酒法時代には、アルコールを提供するバーが閉店する一方で、ソーダ・ファウンテンはむしろ売上を伸ばしたと言われています。

【19世紀後半】アメリカ発の炭酸飲料文化が発達し、パリ万国博覧会で大成功を収め世界中に広まる!

炭酸水の歴史【19世紀後半】

19世紀後半は、現在までつながる炭酸飲料文化の基盤が作られた時代でした。

2回の万国博覧会を通じて、エンタメ性の高いアメリカ独自の炭酸飲料文化が知れ渡り、20世紀にコカ・コーラ社をはじめとする巨大なソーダ・ビジネスが登場する礎を築きました。

ここでは、19世紀後半に起こったアメリカの炭酸飲料文化が世界に広まる過程を見ていきましょう。

1867年のパリ万国博覧会~炭酸飲料とアメリカン・エンターテインメント~

1867年のパリ万国博覧会で、アメリカの発明家グスタフ・ダウズはソーダ・ファウンテンを出店し、大成功を収めました。

ダウズの成功を支えたのは、彼が開発した「アイスクリームソーダ」という、ヨーロッパでは見たことも聞いたこともなかった飲み物でした。

ダウズのアイスクリームソーダは、パリ万国博覧会で毎日4000杯も売れ、人々を楽しませる全く新しい飲み物として大好評を博したのです。

このころから、炭酸飲料が「アメリカ的」な飲み物として世界に受け入れられ始めました。

1876年のフィラデルフィア万国博覧会~巨大なソーダ・ファウンテン~

アメリカの炭酸飲料が話題となったのは、飲み物の目新しさだけではありません。ソーダ・ファウンテンの装置にも注目が集まりました。

1876年のフィラデルフィア万国博覧会では、ジェームズ・タフツが設計した高さ10メートルもの巨大なソーダ・ファウンテンが出展されます。

このソーダ・ファウンテンには28種類の炭酸水76種類のシロップを注ぐ104もの大理石の注ぎ口がついており、多種多様なフレーバをつけた炭酸水をふるまいました。

このような豪華なソーダ・ファウンテンが生まれたのは、19世紀初頭以来の技術革新の結果です。

最初の大きな技術的進歩は、1832年、ジョン・マシューズによるものでした。

マシューズは、手に入れやすい大理石(炭酸カルシウム)から炭酸水を作るソーダ・ファウンテンを開発しました。

マシューズはガスの圧力測定器耐酸性のあるタンクの発明なども次々発明し、「炭酸水の父」と呼ばれました。

炭酸水を作る技術が一定の進歩を遂げると、今度はよりゴージャスなソーダ・ファウンテンを作ろうという野心が生まれます。

アイスクリームソーダを開発したグスタフ・ダウズも、ボストンに開いた彼の店では、大理石製で銀メッキのプレートをつけた注ぎ口を持つ、高級感のあるソーダ・ファウンテンを置いていました。

フィラデルフィア万国博覧会に出展したソーダ・ファウンテンの、人を圧倒する巨大な姿は、隆盛するアメリカの炭酸飲料文化をまさしく象徴していたのです。

アメリカにおけるソーダ・ファウンテン文化の勃興

南北戦争後の1870年代、ソーダ・ファウンテンはアメリカのほとんどあらゆる都市に現れ始めていました。

各ソーダ・ファウンテンは、豪華な装置を店に置き、数十種類のシロップを用意して客の求めるどんな炭酸飲料でも提供しました。

ソーダ・ファウンテン経営者のためのドリンクレシピもこのころから出版されました。

炭酸飲料その他の飲み物の標準的説明書(1897年, A・エミス・ヒル)』、『実用的なソーダ・ファウンテン手引き書(1911年, ウィリアム・S・アドキンス)』などが例として挙げられます。

ソーダ・ファウンテンがこれほど人々に愛されたのは、その場所が持つ”非日常的な”雰囲気の力です。

巨大で豪華なソーダ・ファウンテン、お気に入りのドリンク、ガス管によるイルミネーション……そういったソーダ・ファウンテンの幻想的な雰囲気が、日常からちょっと離れてくつろいだ気分を味わわせてくれます。

ソーダ・ファウンテンは、今でいう小さなバーや居酒屋のような、いわゆる「サード・プレイス」の役割を果たしていたのです。

人々に愛されたソーダ・ファウンテンは、20世紀以後、禁酒法や第二次世界大戦など厳しい時代の中でも発展し、名実ともにアメリカ文化を象徴する場所だったのでした。

ちなみに、19世紀末にアメリカで生まれたコカ・コーラ社も、最初はソーダ・ファウンテンでコーラを売ることを目指していました。

コカ・コーラ社の初期の経営者であるエイサ・キャンドラーは、コーラを瓶詰めすることにあまり乗り気でなかったと言われています。

当時のアメリカ人にとって、炭酸飲料といえばソーダ・ファウンテンで飲まれるもの、という意識が深く根付いていたことの1つの表れだといえるでしょう。

ヨーロッパやその他の国では炭酸水を瓶詰めして売ることが主流

万国博覧会で好評を博したアメリカの炭酸飲料でしたが、ソーダ・ファウンテンの文化は他の国では定着しませんでした。

世界で主流だったのは、瓶詰めの炭酸水です

19世紀から20世紀にかけては瓶詰め技術も発展し、輸出入がさかんになったほか、世界各国に瓶詰め工場が作られ、さまざまな炭酸飲料が誕生しました。

このころに誕生した炭酸飲料を挙げると、

  • 日本:三ツ矢サイダー
  • カナダ:カナダドライ・ジンジャーエール
  • ペルー:インカコーラ
  • ブラジル:ガラナ・アンタルチカ
  • サウジアラビア:ヴィムト(イギリス生まれだが、中東の国々で人気)
  • 南アフリカ:ココパイン(ココナッツとパイナップル) etc…

これらの炭酸飲料は、現地の飲み物文化と炭酸水が融合して生まれた、その土地独自の飲み物です。

現在、世界各国でさまざまなフレーバーの炭酸飲料が販売されていますが、そのことを通じて驚かされるのは、飲み物文化の多様性です。

18世紀のヨーロッパで生まれた炭酸水は、世界中に広まり、その場所ごとに独自の進化を遂げてきました。

コンビニでほんの100円程度出せば買える炭酸飲料の中に、数百年の歴史と文化が詰まっているのです。

参考資料

今回炭酸水の歴史について書くにあたって、主に2冊の本を参考にしました。

『ソーダと炭酸水の歴史』ジュディス・レヴィン著, 元村まゆ訳, 2022年

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日本語に翻訳されている数少ない炭酸水の歴史についての書籍です。

ヨーロッパにおける炭酸水の誕生、アメリカのソーダ・ファウンテン、世界各国で進化する炭酸水など、炭酸水の発展を地域ごとにわけて詳しく記述しています

炭酸水が世界各地で独自の文化として根付いていく過程が描かれており、欧米の記述一辺倒ではない点が個人的にはとても好印象でした。面白く読めました。

本の後半では、コカ・コーラなどの巨大ソーダビジネスや、反・炭酸飲料、現代における炭酸ビジネスの特徴にまで言及しており、コレ1冊で炭酸水についてかなり詳しくなれます。

編年体ではないため、歴史を年表の順に追っていきたい人にはちょっと入りにくいかもしれませんが、炭酸水の歴史を知りたい人にはぜひ読んでもらいたい1冊です。

『水の歴史』イアン・ミラー著, 甲斐理恵子訳, 2016年

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こちらは炭酸水に限らず、水の歴史全般について書かれた本です。

特徴的なのは、「食の図書館」シリーズということもあり、【飲み物としての水】に焦点を当てていること。

中世ヨーロッパでは水が飲み物とみなされておらず、18~19世紀になっても水は汚いものと誤解され、なかなか飲まれなかったという事実は、個人的にかなり衝撃的でした。

現代の私たちが思っている〈当たり前〉が、100年、200年、それ以上の歴史を通して形作られてきたものであることを、この本によってあらためて知らされました。

炭酸水も含めて、飲み物としての水が人々に受け入れられていく歴史的・文化的背景がていねいに記述されており、おすすめの1冊です。

まとめ

まとめ

それでは最後に、炭酸水の歴史について今回ご紹介してきた内容を、簡単にまとめます!

まとめ
  • 炭酸水が人工的に作られるようになったのは、18世紀の後半から
  • 18世紀後半に炭酸水を作る装置が誕生し、炭酸水を売る商人も現れ始めた
  • 19世紀のはじめにアメリカでソーダ・ファウンテンが登場した
  • ソーダ・ファウンテンは炭酸水を作る装置と、それを売るお店の2つを意味する言葉
  • 1867年のパリ万国博覧会をきっかけに、アメリカの炭酸飲料文化が世界中に広まり、アメリカ文化として根付いた
  • アメリカ以外の世界では瓶詰めの炭酸水が広まり、各地で独自の炭酸飲料が作られた

炭酸水が人工的に作られるようになったという、いわゆる「歴史の変わる瞬間」があったのは、紛れもなく18世紀のヨーロッパです。

一方で、もう少しミクロな視点で見れば、炭酸水の湧く地域はヨーロッパをはじめ世界各国にあり、その地域ごとに炭酸水の歴史と文化があります。

今回はそういった場所ごとの歴史については書けませんでしたが、興味のある方はぜひ紹介した参考資料などを読んでみてください。

炭酸水の歴史を知れば、普段飲んでいる炭酸水もどこか味わい深いように感じられて、いっそう楽しめますよ!

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santan
毎日2リットルの炭酸水を飲んでいる炭酸大好きな30代男性。2022年の冬にソーダストリームの「ART」を購入して以来、炭酸水メーカーの魅力にすっかりはまり、色々なマシンを試している。 2021年の春からダイエットのために酒⇒炭酸水に置き換え、半年で-10kgのダイエットに成功。お酒の割り材にしたり料理に使ったり、炭酸泉に入ったりと炭酸ライフを満喫中!